ご挨拶

最近の世界的な恐慌と政治不安は目を蔽うものがあり、遂に昨年9月11日にアメリカ東部に起きたあの忌まわしい同時多発テロにより、その頂点に達した感がある。

その原因の究明は簡単にできるものではないが、明らかに電子計算機の爆発的進歩が誘発した“情報革命”の大津波の影響であると私は思っている。幸運にもその波に乗れたアメリカだけが富と繁栄を享受し大躍進を遂げ、その波に乗り遅れた嘗ての経済大国日本はタイタニック的危機の中で悪戦苦闘の日々が続いている。

この様な日本の危機を救う道は一つしかないことは明白である。国土は狭く、資源の乏しい日本は自らの“頭脳”で、学問の世界では新しい知見を創造、発信させ、その成果を物造りの世界に応用し新技術の開発や急速に進化する情報化社会へ自らの変革を実践し、21世紀の世界の平和と繁栄に貢献すべきではなかろうか。

私は半世紀前電子計算機の出現に歓喜し、構造工学の発展に半生を捧げてきた大学人であり、有限要素法を中心とする計算力学、計算工学を今世紀の技術革新の担い手であることを信じて、研究開発とその普及に長年努力してきた。しかし、情報科学の爆発的発展が既存の学問や科学技術発展の道具(tool)として使われる立場から既存の学問の自由な発展を干渉、拘束する弊害が出現し、大学における基礎研究や教育崩壊の危機に立たされていると考えている。
一方、嘗て物造り世界一を誇ってきたわが国の産業界は、その組織の硬直化、空洞化が急速に進行し、活力を失い、経済は停滞し、独自のソフトウェア産業育成の立ち遅れから、専らアメリカのソフトウェアビジネスの最も重要な売り手市場となり、今日に至っているのである。

この様なわが国のおかれている窮状を座視するに忍びず、今年喜寿の年を迎えた大学人であるが、老骨に鞭打ち長年に亘る計算力学の研究・教育の体験を基に、これからの日本を担って行くべき若手技術者に私の自らの体験を語りつつ、一緒に新技術開発を進める私塾、名づけて“産業川井塾”の構想を温めてきた。
そして、大学・研究所、各企業に話した。関係各位より私の構想に賛同を頂いたので、その私塾を開設することを決意した次第である。

当面、私は昭和40年前後に日本鋼構造協会内のSTAN立ち上げの時の体験を基に、昔の同士の協力を得ながら工学の基礎理論と應用並びに計算に関するセミナ開設の計画を進めたいと考えている。まずは、出来る所から実行して行きたいと考えているが、願わくは本塾の意図するところに共鳴される大学研究者、企業の現場技術者の数多くの方々の賛同と協力をお願いしたい。

2002年10月吉日

東京大学名誉教授
川井 忠彦